遠距離自転車通学事件  美馬回顧録
もうひとつの名鉄犬山線南下作戦   美馬 隆
菱田の、この文章を読むまで、この事はすっかり記憶から消えていた。
だが、パンドラの箱のようによみがえってきた、遠い記憶。

俺は、いつも、うらやましかった。
自転車で部活のあとに帰る伴野やコーヘイが。(注:コーヘイ 黄金の左足と左手を持つサッカー部員。高校時代の所業から誰も予想しなかったが現在は愛知県警・警部である)
俺も中学時代は自転車通学だ。
好きな時に帰る事が出来、徒歩のやつを颯爽と追い越していく感触が忘れられなかったのかも・・・。
このきっかけは、そんな深層心理から生まれたのかもしれない。

自転車は、当時の流行っていたミニサイクルだ(今は見ない)。
20型だった。
俺も、中学はサイクリング車だったが、3年間の自転車通学で壊れた。
高校も犬山駅まで自転車で通っていたが、駅の路上駐輪に便利だったのでこれを選んだ気がする。

そういえば当時、我々は、多分体脂肪率というものさしで見ればみんな10%前半だったろう。(今は昔)
練習に明け暮れた体は、自転車という道具さえあれば、体力的に全く問題がなかったような気がする。
もしかしたら、休憩もせず、途中で水も飲まなかったような記憶が、うっすらとある。

ようやく学校にたどりついた時の記憶は、俺もすっかり忘れた。
ただ、松蔭高校を見たとき、うっすらと涙が・・・・(ウソ)。
ほっとした気分だった。
やっとついたと同時に何か、高校生活での偉業を達成したような気分だった。
二人で、金字塔を打ち立てたような。

帰りの記憶は、俺も、全くない。
夕日が沈むのと競争で家に帰ったような気がする(美化)。
ただ一つ覚えているのは、柏森をすぎた頃から、ケツ(失礼!)が冷たかったことだ。
家に着いて確かめた。
白いサドルの形をしたズボンがそこにあった(脚色)。

ミニサイクルで25キロ。
この経験は、この時が最初で最後だった。
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