遠距離自転車通学事件の顛末、ヒシダレポート
名鉄犬山線南下作戦   菱田幹生
もう30年前の出来事。
なぜ、そうなったのか憶えていない。

もしかすると、当時3年B組で流行っていたゲームでの罰か、あるいは悪い乗りか。
とにかく、俺と美馬隆は自転車で登校することになった。
俺は江南市、美馬は犬山、ざっと25キロ、確か季節は冬。無意味な事に意味を見出したい年頃である。
それな りに意味はあったのかもしれない。俺達は名草線で待ち合わせをした。
江川線ではない。
江川線ってなんだ?江南の江とどこかの川なんだろうが、(編集部注…昔この道沿いに江川という川が流れていました。今は暗渠に。)俺にとっては名古屋と江南市草井町を結ぶ名草線だ。
交差点で美馬を待った。
おおよそ時 間どおりに美馬が現れた、驚いた。

美馬の自転車には前に買い物篭がついていた。いわゆるママチャリである。
こいつなめている。
俺の自転車は小学4年から乗っている5段変速、白を基調にしたお気に入りだ。
セミドロップハンドルを逆に付け直した。もちろんスピードメーター、方向指示器などはついていない。
当時いろいろなオプションがついた自転車を買った奴は中学に入ると後悔したものだ。
先の読めない奴らだ。
これから、5段変速の俺とママチャリの美馬が25キロのツーリング、俺は美馬を先に走らせた。
スピードの違いを考えれば当然のことだ。
それは美馬に道案内を任せる意味もあった。(俺は正直自信がなかった。)
俺達は地図を持たなかった。
しかし、ある確信があった。名鉄犬山線を南下すれば名駅に着くと。
名草線は西春辺りまでは犬山線にほぼ平行している。
名草線を辿ればすなわち名駅なのである。

俺達は名草線を南下した。もちろん休憩などはない。
俺達の登校を待っていてくれるであろう級友達のためにも急がなければならない。
それに遅刻はまずい。遅刻の理由など言えるはずがない。
「おい、遅刻の理由はなんだ」
「はい、それがその、自転車で、犬山線に平行している名草線を、あ、名草線は江川線じゃなくて、名古屋と江南の草町を・・」などと1限目だけではとても足りない。

今であれば、コンビニで休憩なんてことなんだろうが、当時はそんなものあろうはずもない。
コンビニ、ああ、全く中途半端な店である。
定価どおりで売り、何でも揃いそうで肝心な物がない、店員の言葉は心のない丁寧語。
日本人をダメにした三大4文字の一つである。因みにあと二つは、「カラオケ」と「ケイタイ」であるが、その話はまた別にしよう。

事実、美馬と俺には休憩は必要なかった。当然だ。
美馬は野球部のキャプテン、中村地区ナンバー1のスラッガ ーであるし、俺は、名古屋でも名が通った剣士である。
たかが25キロの道のりに休憩などは時間の無駄である。
あまり気づかれていないことだが、3Bには運動部の代表的な選手が集まっていた。
ボールを持った姿は見たことがないが卒業アルバムではラグビー部のまん中で大きな顔をしているラガーマン、試合で全力疾走をしないミッドフィルダーと、誰も見たことがない幻の左足を持つフォワード、やっと花が咲きそうなスポーツ、ハンドボールのポイントゲッター、何が原因かわからないがソフトボールでふらふらしながらセンターを守っていた天才スイマー、と当時名古屋の高校スポーツシーンで中心であったであろうクラスだった。

どれくらい走ったであろうか、名草線は、名鉄犬山線をどこかで交差しその位置が東から西へと入れ替わる。
おそらくそのことを俺と美馬は予想していなかった。
それからの行程は全く覚えていない。
なぜだろう、記憶が飛んでいる、いや、飛ばしているのだろうか。人間は、思い出すことが苦痛になる出来事は忘れる事ができるという特性を備えていのかも知れない。
そんな苦痛な事があったとは到底考えられないが。

次に思い出せるのは、俺と美馬が級友に紙吹雪で迎えられた光景だ。
俺達の旅は、どうも二人だけで計画したものではなく、何かの力によって動かされたという事実がこの紙吹雪によって証明されている。
まさか、いや、考えたくはないが、「いじめ」の三文字が脳裏をよぎる。
俺と美馬は名古屋市民から言わせれば「郡部」の人間なのである。
高校に入学した当時、「郡部」の人間は実によく解った、坊主頭に帽子だからである。しかし、俺達「郡部」の人間は決して臆せず高校生活を送っていた。
が、彼ら「郡部」でない人間達は、やはり、「郡部」を意識し、差別をしていたのであろうか。
今となっては「思い出」という美化された言葉で片付けられてしまうが、彼ら「郡部」でない人間達が人としての正しい道を歩んでいるかが気がかりである。

紙吹雪で迎えられた俺と美馬はその日いつもと変わらぬ高校生活を過ごし、部活で汗を流した後、俺は江南、美馬は犬山に自転車で帰宅したのであろう。
というのは、帰りの記憶も全く飛んでいるのである。
まさか、忘れてしまいたい、忘れなければならない事実がそこにあったのであろうか。(終)


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